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2015年12月9日水曜日

【WiLL】盛の衰ある、生の死あるは、天の分あり

WiLL2015年2月号P18~P19 朝四暮三より

WiLL (ウィル) 2015年 02月号

近頃「歴史修正主義」ということばが目につく。それを使っている多くの場合は、こうである。歴史上の事で確定していることを改新しようとしているとして非難する時に「歴史修正主義」というレッテルを貼っている。

具体的な例を挙げる。保守派が左筋の歴史観を自虐史観として批判しているが、それを歴史修正主義と称して左筋は非難しているわけである。

愚かな話である。と言うのは、そもそも「修正主義」ということばは、元来、共産主義者・社会主義者らの業界用語なのであって、一般用語ではないからである。

その昔、マルクス主義が政治として登場した後、それまでにすでにできていた議会制を生かしながら、マルクス主義的政策の中の現実性があるもの(社会保障制度など)を取り入れてゆこうとした、ドイツ社会民主党のベルンシュタインの立場を修正社会主義、略して修正主義と言った。柔らかいマルクス主義とでも言うべきか。

これに対して、ごりごりのマルクス主義者(教条主義者・左翼小児病者ら)は、とんでもない誤りとして批判する。以来、修正主義者と言う罵倒語が裏切り者といった気分をもって使われてきた。要するに、マルキスト連中のお家騒動用語と化した。

例えば、毛沢東は中華人民共和国建国後、独裁者として君臨したが、大躍進政策の失敗で失脚。その後、文化大革命を起こして復活した。そのとき、最高権力者の劉小奇を引き摺り下ろすスローガンが「打倒修正主義者」であった。事実、毛沢東は共産主義信奉者、劉小奇は現実主義的で修正社会主義的であった。

という話で分かるように、なんのことはない、権力闘争用語なのである。つまり、どこかに絶対<正>なるものが存在し、その前に文句を言わず平伏せよ、というわけである。だから、その絶対<正>に疑いを持ったり、別の<正>を唱えたりするのは、修正主義者であると罵倒し、罪とする。当然、その思想を改めさせるため、政治収容所や労働改造所に送りこむ。もちろん、その先は死あるのみ。北朝鮮の実情がそれを物語って余りある。

さて、話が飛んで現代日本。右のような事情を知ってか知らずか、知らないが、マルキシズムの業界用語を一般用語に持ち込み、しかも「歴史」をくっつけ「歴史修正主義」と称して使いだした。世間知らずの連中である。歴史において、何か知らないが「正しい歴史」なるものがあり、それを守らなければならないのにケチをつけるのが出てきた。それは許さぬ。歴史修正主義は許さぬと息巻いている。

となると、二つの問題点が出てくる。

まず一つ。修正主義延いては歴史修正主義も、一般用語ではない。共産・社会主義者がマルクス主義を絶対<正>とするのは勝手だが、一般性はない。だからまずその絶対<正>を確定するため、共産・社会主義者ら左筋業界内で存分に喧嘩をおやんなさい。それが筋。それをなんと、矛先を保守派に向けてくるのはお門違い。先ごろ帰土した高倉健風に言えば、左筋のあんさん、まちがってやしませんか。死んで貰いやす。背中の赤旗泣いている。果ては網走、番外地。

もう一つは、「修正」ということば自体だ。一般社会へ打って出るとなれば、一般用語として使えなくてはならない。しかし、「修正」とは「まちがった行いを正しくする・身が修まり正しくなる・正しいありかたを修め身につける」といった、悪いところを正して良くなるという語感である。となると、左筋のの連中の意図と正反対。それが厭なら「修正」でなくて「改悪」と称すべきではないのか。

では、歴史改悪主義-こう表現した瞬間、自己崩壊する。なぜなら、歴史を特定化し固定し、歴史に対する自由な研究・解釈・論評、延いては学説や思想の自由を否定するファシズム宣言となるからである。古人曰く「盛の衰ある、生の死あるは、天の分なり」と。





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